言葉と真理 (Words and Truth)

 時々、言葉の無力さを感じることがある。激しい感情の起伏などは、言葉では表現できないからである。あるいは行き先を人に示す時、地図のほうが言葉よりはるかに分かりやすい。人の出会いと別れなどの微妙な陰影を表現する時、言葉は万能ではないことを思い知る。しかし、人は言葉を使わざるを得ないし、言葉に頼らざるを得ない。

 流行語などを使用することは、現実の感情が言葉に引きずられる事象であろう。人と同じ言葉を使うことによって、現実の細部を冷たく切り離すことになる。そこで言葉によって単純化された現実が浮かび上がってくる。そこから現実の真実 (あるとすれば) に到達することは、かなり困難であろう。

 現実の感情や思いに近づく方法は、流行語などは使わず、感情にあった言葉が脳裏に浮かんでくるまで、じっと待つ忍耐が必要であろう。現代文明の渦中にある人々は、その「待つ忍耐」が苦手なのかもしれない。脳裏に浮かんだ最初の言葉に妥協して、安易に現実を切り刻もうとする。それではいつまでも、言葉で現実を明らかにすることはできないであろう。これは人が考えるほどたやすいことではない。

 ハムレットが、ポローニアスから「何を読んでいるのか」と聞かれて、「ことば、ことば、ことば」と答えるのは(『ハムレット』二幕二場)、言葉の不完全性に嫌気がさしていたからかもしれない。なにせポローニアスは大量に言葉を使うが、真実からほど遠いことを語る登場人物であるから、なおさら言葉の無力さをハムレットは感じ取ったのであろう。

 言葉を復権させるには、常に新しい言葉の創造しかない。詩人はこれまでの常套句を廃して、新しい言葉を作り上げる。だからこそ詩人の称号が与えられる。詩人は新奇を衒っているのではなく、それしか己の感情を表す方法がないからである。詩人ではない私たち凡人は、安易に言葉を使わないことしか、真実に近づく方法はないのかもしれない。

 次の言葉は若松英輔の『池田晶子、不滅の哲学』(トランスビュー、2013年) からの一節であるが、読み返すたびに感動する。

真実を、文字で完全に書き記すことはできない。それはほとんど消え去るかのように思われる。詩が、そうした真理と美と善性の来訪をこの世に刻む営みであるなら、詩人たちがそうであったように、読者もまた、それを感じることから始めなくてはならない。(94ページ)

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