Jed Perl と Celia Paul (Jed Perl and Celia Paul)
Commonweal Magazine (December 4, 2022) に "A Path to Freedom" という絵画論が掲載されている。その中で筆者のグリフィン・オレイニク (Griffin Oleynick) は、二人の芸術に携わる人物を読者に紹介している。
このサイト「名誉教授のブログ」の作成者は、絵画に詳しくないが、グリフィン・オレイニクの芸術に対する考え方に共感したので、このブログで紹介したいと思う。
グリフィン・オレイニクが紹介する人物は、ジェッド・パール (Jed Perl) とシリア・ポール (Celia Paul) である。ジェッド・パールはアメリカ人の芸術批評家であり、シリア・ポール はインド生まれのイギリス人画家である。シリア・ポールは後に出てくるが、精神分析で著名なジークムント・フロイト (Sigmund Freud) の孫息子ルシアン・フロイト (Lucian Freud) と付き合い、フランク・ポール (Frank Paul) という男の子をもうけている。
最初の人物ジェッド・パールは、この絵画論の筆者グリフィン・オレイニクから、次のように紹介されている。
In the opinion of Jed Perl, longtime art critic at the New Republic and a regular contributor to the New York Review of Books, that all misses the point. “I want us to release art from the stranglehold of relevance,” Perl writes in Authority and Freedom: A Defense of the Arts (Knopf), the sharpest, most inspiring book of criticism I read this year.
(訳) 「ニュー・リパブリック」誌で長い間芸術批評をして、「ニュー・ヨーク・レビュー・オブ・ブックス」誌の定期的な寄稿者であるジェッド・パールの意見では、これらすべてはポイントを外していることになる。私が今年読んだもっとも鋭くもっとも啓発的な批評書『権威と自由:芸術の擁護』(Knopf) の中で、パールは「私たちが関連事項という束縛から開放されることを、私は望む」と書いている。
"relevance" (関連事項) について、若干の説明が必要であろう。前段の文章で、この絵画論の筆者グリフィン・オレイニクが、ゴッホの Starry Night (『星月夜』、1889 年制作) をあげて、この作品に関する事項、例えばゴッホが精神的に病んでいたことが、作品の与える感動と関連するであろうか、と問いかけていることを指している。芸術は作品自体を楽しむべきで、作品の付帯的事項に心を捉えられるべきではない、というのが ジェッド・パールの主張である。
グリフィン・オレイニクは 、ジェッド・パールの芸術論を、次のように説明している。
At the center of Perlʼs analysis is the notion that all art is the result of a tension between the authority of tradition on the one hand and the freedom of creativity and invention on the other. For Perl, no artist simply makes something new ex nihilo. First, an artist must complete a kind of apprenticeship, imitating and then mastering the models and forms that have preceded them. That process neednʼt preclude artists from exercising individual freedom.
(訳) パールの分析の中心には、「すべての芸術は、一方には伝統の権威、他方には創造と創作活動の自由との間の緊張の結果である」という考えがある。パールにとって、芸術家は単に何もないところから作り出すことはしない。最初に、芸術家はこれまで存在したモデルや形式をまねて習得するという一種の見習いの期間を終えなければならない。その過程は芸術家たちが個人の自由を行使する妨げになることはない。
次にグリフィン・オレイニクは、シリア・ポールを紹介しているが、ジェッド・パールがミケランジェロ (Michelangelo Buonarroti、1475-1564) と同等に並べている アレサ・フランクリン (Aretha Franklin) に対する描写が、シリア・ポールにも当てはまると考えたからである。
アレサ・フランクリンは、アメリカのシンガーソングライターであり、ピアニストであるが、1972 年のロサンジェルス劇場の公演を、グリフィン・オレイニクは絶賛して、” rapturous performance of “church music” before thousands of people” 「何千人という人々の前で、教会音楽を熱狂的に演奏すること」と述べている。そして孤独な彼女を次にように表現している。"All eyes on her, but she is alone with her vocation"「すべての目が彼女に注がれているが、彼女は己の天職に一人で向き合っている」。
さて シリア・ポールであるが、彼女のホームページを見ると、質素な自画像や人物像を集中的に描いている画家であることが分かる。グリフィン・オレイニクは、彼女を次のように形容している。
Known for graceful, intimate portraits of family members and, more recently, spare still lifes and quiet landscapes, Paul is also an extraordinarily gifted writer. She kept a diary when she was young. Now, at the age of sixty, Paul puts the same unassumingly curious, incisive voice to powerful new effect in retelling her long, emotionally abusive relationship with the British painter Lucian Freud, grandson of Sigmund and the father of Paulʼs son Frank.
(訳) 優美で親しみやすい家族の肖像画や、最近では切り詰めた静謐な生活や穏やかな風景画で知られる、ポールは驚くばかり才能ある作家でもある。彼女は若い時に日記をつけていた。今、60 歳になって、ポールは、フロイトの孫でイギリスの画家であり、ポールの息子フランクの父親であるルシアン・フロイドとの長くて感情的には屈辱的な関係を語る際、気取らない好奇心のある鋭い声を、力強い新奇な効果を持つ文体にしている。
最後にグリフィン・オレイニクが、自身のエッセイに "A Path to Freedom" と名付けた理由を明確にする。
Unintentionally, Paul also complicates and rounds out Perlʼs conception of art as a path to freedom. The artistʼs work lies not just in copying and then creating, but also in erasing: “Painting is the language of loss. The scraping-off of layers of paint, again and again, the rebuilding, the losing again. Hoping, then despairing, then hoping. Can you control your feelings of loss by this process of painting, which is fundamentally structured by loss?”
(訳) 図らずも、ポールはまた自由への道というパールの芸術観を、複雑化して仕上げている。芸術家の仕事は、模倣して創造するばかりではなく、削除することにもある。「絵画とは削除の言語である。繰り返し絵の具の層を削り取り、もう一度作り上げ、また削る。希望を持ち、絶望して、再び希望を持つ。基本的には喪失によって構成される、絵画のこの過程による喪失の感情を、誰が統御することができるであろうか?」
絵を描く作業は、描いて消し、描いて消すという作業の繰り返しというのが、シリア・ポールという画家の作品制作の中心にあり、このエッセイの作者グリフィン・オレイニクは、この点に非常に感激している。
私自身もシリア・ポールの制作態度には、感銘を受けており、その態度は、人生全てに大切な態度ではないかと思われる。シリア・ポールは秀逸な英文を書いているので、いつか読んでこのブログで紹介したい。
英 文雑誌を通して、新たな芸術家を紹介されることは、心から感謝したい出来事である。人生の視野が拡大される思いがする。
