大学祭の思い出 (A Recollection of a University Festival)

東京芸術大学の大学祭
学生委員長を任命された
今から 20 年前、大学教員をしているとき、私は大学の学生委員長を仰せつかった。その前年度は、副委員長で 1 年間の見習い期間を経ていた。学生委員長の主な仕事は、大学祭を円滑に実施することで、学生との交渉で、大いに神経をすり減らした。当時はまだ学生運動家が、大学を半ば牛耳っていたからだ。
そのような危機的な状況であったが、おかげさまで、無事に大学祭を終了させることができた。これはひとえに事務方の強力なサポートのおかげと感謝している。大学の教員は、実務に疎い人が多く、私もその例に洩れず、実務的なことには、頭がまったく回らなかったが、学生係の事務の方が、献身的に努力をされて、学生委員長である私を支えて下さった。大学祭の 4 日間は、朝 7 時から夜 11 時までキャンパスにいて、大学祭の監視を行っていたが、最後の日には、現実感覚がなくなって、かなり危ない精神状態であった。
そのような精神状態の時、頼りにしていた事務の方が、大学に来られないことがあった。その理由は、大学教員は連続して勤務できるが、事務の方は適当に休暇をとらなければいけないという、規則があるためであった。その時は、心底、心細い思いをした。それほど事務の方を頼りにしていたということであろう。
二つの思い出
大学祭では二つの印象に残る思い出がある。一つは自転車衝突事件であり、もう一つは自動車運動場侵入事件である。最初の事件は、学生委員長の仕事として、他の地区の学生委員の方を、キャンパスを案内することがあったが、その時に起こった。私が学生の展示物を他の地区の学生委員を案内して見回りをしていた際、自転車が猛スピードで私のほうに向かってやってきた。
間の悪いことに、話に夢中で、私の方から自転車にぶつかって行った格好で、もろに接触してしまった。幸いなことに、柔道の心得があったので、ぶつかった瞬間受け身とともに、一回転して立ち上がって、学生に「気をつけなさい」と大声で注意したが、学年と名前を聞くことを忘れてしまった (おそらく本校の学生であったと思う)。私自身は冷静に対処したと思っていたが、心中はかなり動揺していたのであろう。他の地区の先生が「あれほどの衝突をして無事だとは、先生は不死身ですか」と、揶揄されたことを今でも覚えている。その時に受けた膝の傷は、今でもかすかに残っている。
もう一つの印象的な事件は、父兄の車が勝手に運動場に入ったことである。大学祭の最終日は、後片付けのため、父兄が学生の模擬店回収を手伝っておられた。学生委員長としては、雨が降っていたため、自動車を運動場に進入させることを禁じていた。ところが、目の前で一台の車が運動場に入り、運動場を無残な形にしていくのを見てカッとなり、自動車のあとを百メートルくらい追いかけた。
運転している父兄に、相当文句を言ったが、後から聞いてみると、学生の執行部が許可を与えていたようだ。あの時の父兄にもう一度会って、当時の非礼を詫びたいと思っているが、その父兄は私とはもう二度と会いたくないと思っているであろう。このブログを読まれることはないであろうが、「どうも失礼をいたしました」


