『ヘンリー五世』で歌われる聖歌 (The Hymn sung in "Henry V")

 シェイクスピアの作品『ヘンリー五世』 (1599年) の中で、主人公であるヘンリー五世 (1387-1422) は、アジンコートの戦い (1415年) で、フランス軍を打ち破ったあと、兵士たちに神に捧げる聖歌を歌うように命じる。 (ところで、アジンコートという表記は、英語の Agincourt の発音であるが、フランス語では Azincourt となり、発音はアジャンクールとなる)

Let there be sung Non nobis and Te Deum,
The dead with charity enclosed in clay,
And then to Calais, and to England then,
Where ne’er from France arrived more happy men. (IV.viii.116-118)

(訳) Non nobis と Te Deum の聖歌を歌い、
  慈悲の心で、死者を埋葬し、
  それからカレーへ凱旋し、イングランドへ帰ろう、
  そこではフランスからこれほど幸せに帰国したものはいないであろう。

Non nobis 聖歌の意味

Non nobis の聖歌は、ラテン語では次のようになる。

Non nobis, non nobis, domine
Sed nomine tuo da gloriam

英語訳では "Not to us, O Lord, but to your name from glory." となり、「私ではなく、栄光は神のものだ」という意味になる。神への感謝と人間の謙虚さを表す聖歌である。

聖歌を歌う意味

 ヘンリー五世は、この聖歌をなぜ兵士に歌わせたのであろうか。一つには、自分の偉業は神の思し召しであり、自分の力ではないという謙虚な気持ちを表すためであろう。もう一つは、フランス軍を打ち破ったのは、神の思し召しであるから、フランス王位継承権はヘンリー五世のものであると、神が認めたことを世間に周知させたかったためであろう。

 アジンコートの戦いの発端は、イングランド国王ヘンリー五世のフランスにおける領土所有権の主張であり、フランスに領土の返還を求めるが、フランス皇太子は使節モントジョイ (Montjoy) を送って、ヘンリー五世をからかった品物を届ける。怒ったヘンリー五世は、軍隊を集め、フランスに上陸させ、フランス軍を殲滅する。

 歴史書の『ホリンシェッド年代記』 (Holinshed's Chronicles) では、ヘンリー五世はアジンコートの戦いのために、できる限りの準備をしているとなっているが、シェイクスピア作の『ヘンリー五世』には、その点は詳述されていない。アジンコートの戦いをそのように描いたシェイクスピアの意図は明らかで、ヘンリー五世の勝利は神の加護のおかげであるということを、特に強調したかったのであろう。

ローレンス・オリビエとケネス・ブラナーの解釈の違い

 シェイクスピア作『ヘンリー五世』は、イギリスが危機に陥ったときに、いつも上演されることが多いが、それは神とイギリスが結びついていることを、国民に再確認させるためであろう。例えば、1943 年の第二次大戦中にローレンス・オリビエ (Laurence Kerr Olivier) が制作した映画『ヘンリー五世』は、明らかに愛国心を強調した作りとなっている。国威発揚を目的として製作が依頼された映画で、イギリス政府からの援助も受けていた。

 それに反して、1989 年に作られたケネス・ブラナー (Sir Kenneth Branagh) の『ヘンリー五世』は、戦争の残虐さを訴えている。ケネス・ブラナー制作『ヘンリー五世』の印象的な場面は、このブログの冒頭にあげた箇所で、映画は聖歌の歌声と共に、戦争の被害者を延々と描写している。愛国心という掛け声で、戦争の犠牲者が増えていくというアイロニーを、ケネス・ブラナーは気付いていたのであろう。

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