ダイアナ妃の手紙 (Letters of Princess Diana)
世界中の人から愛されたダイアナ妃が、不慮の事故で亡くなったのは、1997 年の 8 月 31 日であった。このブログの筆者は、ちょうどイギリス留学の最中であった。ダイアナ妃の事故の知らせは、日本にいる家族からの電話で聞いて驚いたことは、今でもはっきり覚えている。
ダイアナ妃の葬儀は、死後 1 週間経った 9 月 6 日に準国葬という形式で執り行われたが、その日に私はソールズベリー大聖堂で有名なソールズベリーにいた。ダイアナ妃の葬儀のために、町中はひっそりとしていた。イギリス中が悲しみ沈んでいるという印象であった。
ダイアナ妃の手紙がオークションにかけられる
ダイアナ妃に関するブログを書こうと思ったのは、2023 年 2 月 10 日の Mail Online で、生前ダイアナ妃と親しかった夫婦が、ダイアナ妃の手紙をオークションで公開したというニュースを見たからである。ダイアナ妃が心から信頼していたスージー・カシーム (Susie Kassem) は、子孫に手紙を残すのではなく、オークションで売って、ダイアナ妃が関与した慈善事業に寄付することが、ダイアナ妃の意向に沿うのではないかと判断したようだ。
手紙の中で、ダイアナ妃は離婚に関する苦痛を、次のように訴えている。
In one, she describes to her friend how ‘desperate and ugly’ things had become and that, had she known what she was going to experience, she would never have consented to the divorce.
(訳) ある手紙の中で、ダイアナ妃は友達に、状況がいかに「絶望的で醜悪に」なっていったことや、もしこのようなことを味わうと分かっていたら、決して離婚に同意しなかったであろう、と説明している。
ダイアナ妃の悲しみ
カシーム夫妻が持っていたダイアナ妃の手紙は、32 通あったようであるが、その手紙が書かれた期間は、ダイアナ妃がもっとも苦しい立場に立たされていた期間でもあった。
Highly personal and poignant, they span a 20-month period from the last days of summer 1995 to the spring of 1997, an extraordinary period in the late princess’s life.
(訳) すこぶる個人的で苦痛に満ちた手紙は、1995 年の夏の最後の日々から、1997 年の春までの期間にまたがり、その時期はダイアナ妃の晩年では、尋常でない期間である。
カシーム夫人と交わした手紙には、家庭的に恵まれなかったダイアナ妃の悲しみが描かれている。
The letters that she shared with Mrs. Kassem are, of course, far more intimate and at times both moving and eloquent. They reveal Diana’s warmth and charm. But most of all they are testament to the aching sadness in her life — the absence of domestic happiness.
(訳) ダイアナ妃が カシーム夫人と共有した手紙は、もちろん、はるかに親密で、時には感動的で雄弁なものである。それらはダイアナ妃の温かさと魅力を示している。しかし手紙のほとんどは、彼女の人生におけるうずくような悲しみ、すなわち家庭の幸せがなかったことを示している。
ダイアナ妃を騙したとされるマーティン・バシール
この記事で初めて知ったことであるが、マーティン・バシール (Martin Bashir) というジャーナリストは、ダイアナ妃との単独インタービューで世間を驚かせたが、彼はダイアナ妃を騙してインタービューに応じさせたようである。彼の行為は、マイケル・ジャクソンとのインタービューでも問題を起こしているので、ジャーナリストである彼は、記事のためには、人を窮地に落としても構わないと考えているのであろう。
We now know that, by this time, Bashir had become an influential figure in Diana’s life. Years later, it emerged that he had deceived her in order to get the interview, convincing her that her phone calls were bugged, and her movements tracked.
(訳) この時までには、バシールはダイアナ妃に大きな影響を与える人物であったことは、私たちは今では知っている。何年か後に、彼はインタービューをするために彼女を騙し、ダイアナ妃の電話が盗聴されて、彼女の行動が追跡されていると確信させていたことが、明白になった。
このインタービューの中で、ダイアナ妃は自分の自傷癖や自殺未遂、拒食・過食に触れ、さらにチャールズ三世 (当時皇太子) の愛人と噂されていたカミラ・パーカー・ボウルズ (Camilla Parker Bowles) の存在を明らかにして、世界中を驚愕させた。
ダイアナ妃は 1996 年にクリスマスに、カシーム夫妻に、次のように書いているが、不幸なことに 1997 年 8月 31 日に不慮の事故で亡くなる。悲しい生涯である。
She added: ‘I hope ’97 will be an easier year for us all.’
(訳) 彼女(ダイアナ妃) は付け加えた。「1997 年は私たちにとって安らかな年になることを望みます」
なおサムネイルに使用した写真は、JTB の公式サイトから利用させてもらった。ここに記して深く感謝します。因みに、JTB の海外旅行のサイトは、懇切丁寧で分かりやすい。多くの人が利用されているのも納得できる。
