哲学は自助か (Is Philosophy Self-help?)

Iris Murdoch (1919-1999) イギリスの女流作家 The Sea,The Sea (1978) でブッカー賞を受賞 (The Booker Prizes のホームページより)
The Point の 2024 年 2 月 19 日号に、「哲学は自助か」 (Is Philosophy Self-help?) という論文が掲載されていたが、それまで哲学は真理の探究が仕事であると信じて疑っていなかったので、意外な感じを受けた。そして、この論文は哲学の名を借りた人生訓がテーマであろうとたかを括っていたら、読み進めていくと、その深い内容に驚いた。
サミュエル・スマイルの『自助論』
"self-help" という言葉は、1831 年に 英国の思想家 Thomas Carlyle (1795-1881) が最初に使用したものであるが、世間では 英国の伝記作家・社会改革家 Samuel Smiles (1812-1904) が1859 年に出版した Self-Help 『自助論』が有名であろう。この本は世界的に売れた著書で、日本では中村敬宇 (1832-1891) が訳した『西国立志編』が、記録的な売れ行きを示した。
この論文の筆者は、 Kieron Setiya (1976- ) で、マサチューセッツ工科大学の哲学教授である。専門は、倫理学、認識論、および心の哲学。著書は、Midlife: A Philosophical Guide (2017) や Life is Hard: How Philosophy Can Help Us Find Our Way (2022) などがある。
アイリス・マードックの哲学論
Kieron Setiya は、Iris Murdoch (1919-99) の言葉に賛同し、哲学は人間を善くする方法を示すべきであると考えている。
I’m not here to make a case for the revival of metaphysics as self-help. Nor do I agree with Socrates. Like Iris Murdoch, I believe that “an unexamined life can be virtuous.” But Murdoch was surely right that the question “How can we make ourselves better?” is one “that moral philosophers should attempt to answer.”
(訳) 私はここで自助としての形而上学の復活を主張しているのではない。またソクラテスの考えにも賛同しない。アイリス・マードックと同じように、「哲学のない人生も立派な人生となり得る」と私は信じている。しかし、マードックの次の言葉は完全に正しい。「どのようにして私たちは善良になり得るかという疑問は、道徳哲学者が答えるべきものである」 (訳注 ― ソクラテスは、「哲学なき人生は生きるに値しない」と言っている)
世界を科学的に分析するのではなく、誠実に認識することが重要であるという Iris Murdoch の言葉を引用して、哲学はしばしば Murdoch の言うような方向に行っていると、この筆者は主張する。
Moral philosophy often works this way: the role of argument is not to compel assent—it almost never does—but to build conceptual schemes and through connection create new meaning. It’s what I’m doing now: sketching the relationship between moral philosophy, truth and argument in a way that makes room for philosophical self-help. It’s what Murdoch is doing when she identifies love with “the perception of individuals”: shifting our conceptions of attention, knowledge and love.
(訳) 道徳哲学は、しばしばこのように働いている。議論の役割は、同意を強要するものではなく (そんなことは決してしない)、観念の組み立てを造り、その関係を通して、新しい意義を創造することである。それが今私がしていることである。哲学的自助の働ける空間を作るような方法で、道徳哲学、真理、議論の関係を描くことである。それはマードックが愛と「個人の認識」を同一のものとみなし、配慮、知識、愛の観念を変化させるときに、彼女がしていることである。
哲学は言葉の限界を打ち破る
この論文の筆者 Kieron Setiya は、Iris Murdoch に心酔しているようで、結論部分にも彼女の言葉を引いている。
Philosophy seeds new concepts, novel understandings—as it might be, alienation, ideology, structural injustice; new ways of comprehending freedom, status, power. Philosophical argument serves more to nurture these concepts and give them life than to establish theorems critics can’t dispute. In Murdoch’s words, “the task of moral philosophers [is] to extend, as poets may extend, the limits of language, and enable it to illuminate regions which were formerly dark.”
(訳) 哲学は、新しい観念、新奇な理解のきっかけを与える。それは異化、イデオロギー、構造的不正かもしれないし、自由、地位、権力を理解する新しい方法かもしれない。哲学の議論は、批評家が論駁できない定理を樹立するというより、このような観念を育て上げることに有用である。マードックの言葉に、「道徳哲学の務めは、詩人がするように、言葉の限界を広げ、前は暗かった領域を明るくすることである」がある。
哲学はあくまでも心理の追求が職務であると考えていたが、この論文の筆者は、哲学は人間がより善い人生を送るためにも寄与すべきであると信じている。哲学を世俗化する可能性もあるが、新しい活用法かもしれない。
ただ哲学が発見した真理が、人間にとって都合のよいものとばかりは限らない。その真理が人を不幸にする場合もあるであろう。人は哲学の深い森に入る前に、覚悟が必要であると思われる。


