不死への欲求 (The Desire for Immortality)

Sigmund Freud (1856-1939) オーストリアの医師で精神分析の創始者

 

 2021 年実施された一橋大学の英語入試問題に、不死への欲求をテーマにした英文が用いられていた。

 不死への要求は、秦の始皇帝が求めたことで有名であるが、まだ実現した人間はいない。

フロイトの願いの変容

 フロイト (Sigmund Freud, 1856-1939) が、友人の精神分析医 (Andreas-Salomé, 1861-1937) に手紙を書き、会いたいという切実な願いを書いている。あり得ない話であるが、フロイトがこの手紙を書いているときに、携帯電話が発明されていたら、その切実な願いは叶えられたであろう。しかしその願いは質的に変容する。

When technology makes something newly possible, it changes the status of our wishing for that thing. Once upon a time, wishing to see and speak to an old friend in another country instantly was mere fantasy, the sort of thing for fables of magic mirrors and crystal balls. But now we have portable video cameras and wireless networks. Now a wish to chat with distant loved ones has the status of a perfectly normal desire — one that is vulnerable to painful failure.

(訳) テクノロジーが何かを新たに可能にするとき、それは私たちの願いの状態を変える。昔では外国にいる旧友に会いたい、話したいという願いは、魔法の鏡や水晶玉の寓話のような、単なる空想に過ぎなかった。しかし、今はポータブルビデオカメラとワイヤレスネットワークがある。今や、遠く離れた愛する人とおしゃべりをしたいという願望は、完全に正常な欲求という状況であるが、痛々しい失敗になりやすい欲求でもある。

 それでは永遠の生命を得る手段が遠くない将来に発見されることになると、永遠の生命を獲得できない最後の人間たちは、どのような反応になるであろうか。永遠の生命が夢幻の時代では、単なる諦めになるが、もうすぐ永遠の生命の手段が分かるとなれば、心穏やかでないだろう。不老不死の願望が叶うのに、それが手に入れられない焦燥は別種の不幸を味わうことになる。

The nearby reality of a wish's fulfillment changes its status from fantasy to desire, and so makes it reasonable to be unhappy in entirely new ways.

(訳) 願望が叶うという身近な現実は、その状態を空想から欲望に変え、まったく新しい方法で不幸になることを、もっともなものにする。

不死が得られない最後の世代の葛藤

 次の例文の "the last mortals" は、不死の方法が発見されたが、それを活用できない最後の人間という意味であるが、不死の可能性を目の前にして死ぬことは、かなり苦しいものになるであろう。

This is why the last mortals will have it particularly bad. Until now, the wish for immortality was mere fantasy. No one has ever lived beyond 122 years, and no one has reasonably expected to do so. But what happens once the scientists tell us that we're drawing near, that biological immortality will be ready in a generation or two — then what? Suddenly we are Freud banging on his iPhone, missing out on FaceTime with his dear dying Lou.

(訳)これが、最後の人間が特に悪い目に遭う理由である。これまで、不老不死の願いは単なる幻想であった。122 歳を超えて生きた人はいないし、そうなると合理的に予想した人もいない。しかし、もし科学者たちが、私たちが近づいている、生物学的な不老不死が一世代か二世代で完成するだろうと言ったら、どうなるであろうか? 突然、私たちは、フロイトが iPhone を叩き、愛する瀕死のルーとの FaceTime の時間を逃すことになる状況に陥る。

不死の人類と死んでいく運命の人類ー激しい嫉妬

 そこで永遠に生きる人間と間もなく死んでいく人間が共存することになる。死んでいく人間と、極端に長い寿命に向き合う人間の共存は、激しい嫉妬の感情を引き起こすであろう。

In one sense, it will be the greatest injustice experienced in all human history. From an objective perspective, the problem of the last mortals seems temporary. After all, they will die off quickly, relatively speaking, and then everyone remaining will share equally in the new problems of extraordinary longevity.

(訳) ある意味では、それは人類史上最大の不正義となるであろう。 客観的な視点から見ると、最後の人間の問題は一時的なものに思える。 結局のところ、彼らは相対的に言えば、すぐに死に絶え、その後、残ったすべての人が並外れた長寿という新しい問題を平等に分かち合うであろう。

 英文の最後で、このような問題に備えることは可能であろうか、という問いかけがあるが、準備することはかなり困難なものであろう。しかし、そもそもそのような時が来るのであろうか。私自身は甚だ懐疑的である。言うまでもないが、永遠に生きること自体も、苦しいことではないだろうか。

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