真珠湾攻撃 (Pearl Harbor Attack)
1941 年 12 月 7 日に、日本軍が真珠湾攻撃を決行した。この攻撃をきっかけにアメリカが第二次世界大戦に参戦したことは周知の事実である。
The American Spectator という雑誌を見ていたら、真珠湾攻撃の時に15 歳であり、現在は 95 歳のアメリカ人の回顧録があった。当時の雰囲気を率直に表現した言葉に衝撃を感じた。
彼によれば、真珠湾攻撃の前は、アメリカ中に厭戦気分が漂っていたようだ。
Anti-war propaganda was everywhere. Millions of copies of the devastating novel All Quiet On the Western Front were sold in a couple dozen languages. The American movie version was so powerful that it changed the life of its young star, Lew Ayers.
(訳) 反戦の宣伝活動はいたるところにあった。『西部戦線異状なし』という著書は、二、三十か国語に翻訳され販売されていた。その本を基にしたアメリカで製作された映画は、影響力が大きく、映画の若いスターであるリュー・エアーズの人生を変えてしまった。
またジャーナリズム界では、特に反戦の論陣を張ったのは「ニューヨーク・デイリー・ニュース」であった。
One of the most powerful anti-war voices was the New York Daily News. With a huge circulation, it was almost rabid in its opposition to any American involvement in World War II.
(訳) もっとも強力な反戦の声をあげた一つに「ニューヨーク・デイリー・ニュース」があった。巨大な販売部数を持つその新聞は、第二次世界大戦にアメリカが巻き込まれることを、ほとんど狂ったように反対した。
このように反戦一色であったアメリカが、日本軍の真珠湾攻撃で激変した。
The United States, with those attitudes, completely disappeared as the bombs exploded in Hawaii. My reaction was immediate. Like millions of Americans, I wanted to fight for my country.
(訳) このような反戦態度であったアメリカは、ハワイで爆弾が破裂したときに、完全に消えていた。私の反応は即座であった。何百万人のアメリカ人と同じように、祖国のために戦いたかった。
1970 年に公開されたアメリカ映画「トラ、トラ、トラ」の日本海軍将校は、アメリカという眠れる巨人を真珠湾攻撃で起こしたという嘆きを語る。
In the movie Tora, Tora, Tora, the Japanese admiral who commanded the bombing of Pearl Harbor lamented: “I fear all we have done is to awaken a sleeping giant and fill him with a terrible resolve.”
(訳) 映画「トラ、トラ、トラ」の中で、真珠湾攻撃を指揮した日本海軍将校が、「我々がしたことは、眠れる巨人を起こし、すさまじい決意を与えたと思う」と嘆いた。
Encyclopedia Britannica は、アメリカ同時多発テロ事件が、日本軍の真珠湾攻撃を模倣したものとしているが、衝撃としては多くの人が直接目撃したことで、テロ事件のほうがアメリカ人に与えた影響は大きいと論じている。
Unlike the relatively isolated site of the Pearl Harbor attack of 1941, to which the September 11 events were soon compared, the World Trade Center lay at the heart of one of the world’s largest cities. Hundreds of thousands of people witnessed the attacks firsthand (many onlookers photographed events or recorded them with video cameras), and millions watched the tragedy unfold live on television.
(訳) アメリカ同時多発テロ事件と比較される、1941年にあった真珠湾攻撃が比較的離れた場所であったのと違い、世界貿易センターは、世界で最も大きな都市の一つにあった。何十万という人々が、直接その攻撃を目撃しており(多くの目撃者はその出来事を写真に取ったり、ビデオカメラで記録していた)、そして何百万という人々が、テレビでその悲劇が放映されるのを見ていた)
真珠湾攻撃はもう 80 年前になるが、多くの犠牲者を出した出来事なので、日本人としては記憶しておくべきことであろう。