決闘の作法 (Code Duello)
Humanities という雑誌の 2022 年春季号に「決闘」に関する論文があった。現在では、決闘で恥辱を晴らすという行為は許されないが、昔はかなり流行しており、紳士は汚名を受けた時には、相手に決闘を申し込むことが当たり前になっていた。
この論文の作者は、Joseph Farrell で、英国のストラスクライド (Strathclyde) 州立大学の名誉教授である。
決闘で決着する価値は、男性と女性とでは異なっており、論文の筆者は次のように語っている。
For men, it was related to, but not entirely synonymous with, glory, respect, prestige, and honesty—qualities related to the redefined ideals of courtesy and civility. For women, its essence lay in celibacy before, and fidelity after, marriage. It was the task of men to defend or avenge women’s honor, not least because their own honor was entrusted to that of “their” ladies, sisters, or wives as might be the case.
(訳) 男性にとっては、完全に同義語ではないが、栄光、尊敬、信望、誠実と関連していた。これらの特質は、礼儀と丁重に関して再定義された理想と関連している。女性にとっては、その核心は、結婚前では貞潔、結婚後では貞節であった。女性の名誉を守り報復することは、男性の仕事であった。特に、男性自身の名誉が、彼らの恋人や姉妹や妻にゆだねられている場合はそうであった。
決闘には「紳士階級」である必要があった。紳士でなければ、決闘を申し込まれることはなかった。例えば、名誉を棄損した記事を掲載する新聞の編集者には、決闘を申し込まれることはなく、それを書かせた人物が紳士であれば、名誉を棄損された人物は決闘を申し込んで、殺害しても犯罪とはならなかった。
The word “gentlemen” is an important one; when it came to the duel, the questions of honor and class were complex.
(訳) 「紳士」という言葉は重要な言葉である。決闘となった場合、名誉と階級の問題は、複雑であった。
1836年、第 49 代南キャロライナ知事を務めた John Lyde Wilson (1784-1849)という人物が、アメリカで決闘に関する作法を書いた。
His work was given the title The Code of Honor, or Rules for the Government of Principals and Seconds in Duelling. It is composed of eight chapters of practical counsel to individual duelists, outlining every step to be taken, up to the point where the pistol is loaded.
(訳) 彼の本は、『決闘の作法、すなわち決闘における当事者と介護人の管理のための規定』と名付けられた。それは個々の決闘者に対する現実的なアドバイスを書いた八章からなっており、ピストルに弾が込められるまでの、取るべきすべての段階を述べている。
ただ決闘においては、厄介な問題があり、それはキリスト教の「汝、殺すなかれ」という黄金律である。しかし John Lyde Wilson は、この問題を上手くかわそうとしている。右の頬を打たれたら、左の頬を差し出せという教えを守るくらいなら、荒野でインディアンと暮らした方がよいとまで、彼は言う
The problem that nagged at every duelist or defender of dueling was Christian teaching, specifically the commandment “thou shalt not kill.” Wilson got around this problem by establishing a parallel secular code alongside the teachings of the Bible.
(訳) すべての決闘者と決闘を擁護する人にとって、しつこく付きまとう問題は、キリスト教の教えであり、特に十戒の「汝、殺すなかれ」であった。ウィルソンは聖書の教えと並行して、相似する世俗の社会的慣例を樹立することで、この問題をかわそうとしている。
John Lyde Wilson の論理が通用するかどうかは、議論の余地があるが、キリストの教えと人間の名誉の問題との葛藤は、永遠に解決できそうにないものであろう。名誉を守り、復讐したいという気持ちは、人間の心理に深く入り込んでいるからである。そのために復讐をテーマにしたドラマや映画は数えきれないほどある。