立花隆の死 (Mourning the Death of Takashi Tachibana)

 立花隆さんが 2021 年 4 月 30 日に亡くなった。享年 80 歳。

 立花さんの著作は多く読ませてもらったが、一番感銘を受けたのは、『臨死体験』(文藝春秋、1994年)であった。私自身、死に興味があって、臨死体験が死後の世界を証明するものであってほしい、と強く思っていたからだが、立花さんの結論はそうではなかった。臨死体験は死にゆく人の脳の作用によると結論付けられていた。期待は裏切られたが、その幅広い取材と深い内容には驚異の念を持った。一冊の著作にこれほどの時間と労力をかける人は、これまでもいなかったし、これからもいないであろう。

 立花さんが読者に語りかけるように書かれた『死は怖くない』(文春文庫、2018年) は、私の死生観に大きな影響を及ぼした。何よりも私自身があまり死が怖くなくなってきた。以前のブログで触れたエピクロスの言葉を知ったのも、この本からであった。エピクロスはこのように語っている。

When we exist, death is not; and when death exists, we are not. All sensation and consciousness ends with death and therefore in death there is neither pleasure nor pain. The fear of death arises from the belief that in death, there is awareness. (https://epicurus.today/the-epicurean-attitude-to-death/)

(訳) 我々が存在するとき、死は存在しないし、死が存在するとき、我々は存在しない。すべての感覚や意識は死と共に終わり、死の中では喜びも苦痛もない。死への恐怖は、死んだときに意識が存在することを信じるから起きるのである」

 ただ立花さんが亡くなったという事実は、私にとって厳しいものであった。立花さんが私と死の間に、巨人のように存在していたからだ。人は両親が死んだら死を如実に意識しだすと、聞いたことがあるが、そのような現象が立花さんと私の間に生じていたようだ。だから立花さんの死のニュースに接してから、自分の死をよく考えるようになった。

 しかし死は考えても分からないであろうし、解決策が見つかるとは思えない。この後は、信仰の世界になるであろうと思う。死ぬ前に確固たる宗教心を得た人は幸福であろう。青春時代に懐疑的思考に傾倒した世代には、そのような祝福があるとは思えない。死を迎える最期の日まで、己の信条に従って有益に生きていくしかない。

 以前、有名人の享年の表を作ったことがある。例えば、坂本竜馬は31歳、西郷隆盛は49歳で亡くなっている。この表に立花さん80歳と付け加えることにしよう。

 立花隆さんの訃報を接して、とりとめのないことを考えてみた。

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