テリー・イーグルトンの聖書解釈

 UnHerd (April 15, 2022) という雑誌を拾い読みしていたら、なつかしいテリー・イーグルトン (Terry Eagleton) の名前を見つけた。彼は文芸批評家・哲学者であり、彼の本は、東京大学の大橋洋一氏によって、かなり翻訳されているので、彼の名前を知っている日本人の方は多いのではないかと思われる。私の手元には、大橋洋一訳『批評とは何かーイーグルトン、すべてを語る』(青土社、2012年) がある。

 私とテリー・イーグルトンの 接点は、シェイクスピアである。彼の著書 William Shakespeare (Basil Blackwell, 1986) を、私の拙論に引用させてもらった。彼の英語は分かりやすく、手にしてすぐ最後まで読み通したことを、今でも鮮明に覚えている。

 UnHerd という雑誌に投稿した彼のエッセイは、"Was Jesus a revolutionary?" という刺激的なタイトルで、新約聖書の中のイエス磔刑の政治的背景を見直している。新約聖書の作者は、当時の政治状況を顧慮して、すべての真実を書かなかったのではないかと、彼は考えている。

 イーグルトンは、ローマ帝国の権力者が、イエスを革命家と考えて、帝国の転覆運動を怖れていたと、先ずは推論する。

If the so-called thieves were revolutionaries, was Jesus one as well? It’s possible that the gospel-writers edited out some politically explosive stuff in order to cosy up to the authorities.

(訳) いわゆる泥棒たちが革命家であったならば、イエスもそうであったのであろうか?聖書作者たちが、権力者の機嫌を取るために、政治的に危険な材料を削除することはあり得る。

 その証拠として、イーグルトンはユダヤ人からは称賛されていたパリサイ人を、イエスが激しく非難していることを挙げている。

The Pharisees, incidentally, have had a particularly bad press. They were admired by most Jews for their piety and good works, but are vilified in the New Testament as legalists and hypocrites.

(訳) ついでに言えば、パリサイ人たちは、特に悪い論評を受けてきた。彼らはほとんどのユダヤ人から、敬虔と善なる行いで称賛されていたが、新約聖書では、法律尊重主義者とか偽善者として、けなされている。

 次に、イエス磔刑の時にローマの総督であったピラト (Pontius Pilate) の性格描写を、イーグルトンは問題にしている。新約聖書では、ピラトを善良で処刑に躊躇する人物として描写されているが、実際の彼はそのような人物ではなかったようだ。

We happen to know from other sources that he was a ruthless despot who murdered prisoners, executed at the drop of a hat, and already stood accused of bribery, cruelty and illegal execution when Jesus appeared before him.

(訳) ピラトはささいなことで囚人を殺害したり処刑して、イエスが彼の前に現れたときには、すでに収賄、残酷性、不法な処刑で告発されていたことを、私たちは他の文献からたまたま知っている。

 なぜイエスは処刑されなければならなかったのか。イーグルトンは、ここで サンヘドリン (Sanhedrin) の存在に触れている。サンヘドリンについて、『ブリタニカ国際大百科事典』(ブリタニカ・ジャパン、2011年) は「古代パレスチナの最高審議議決機関。その起源は定かではないが,ローマ時代にはエルサレムの神殿内におかれていた」と説明している。構成員は 71 人で、おもに祭司とパリサイ派の律法学者などからなっており、律法解釈によりユダヤ人の宗教生活全体を規定し、また宗教共同体の徴税と裁判を担当したようである。イエスの処刑のときも、このサンヘドリンという組織が関わっていたことは、歴史的事実である。

 サンヘドリンはイエスを処刑にすることによって、ユダヤ人社会を守ろうとしたと、イーグルトンは推測する。

Maybe the priests didn’t believe that Jesus was a would-be insurrectionist, but it might have been convenient for them to pretend that they did. The political atmosphere in the capital at Passover would have been extremely tense, and Jesus could have provided the spark that sent the place up in flames.

(訳) たぶんサンヘドリンの祭司たちは、イエスが暴徒志望であったとは思わなかったが、そのように信じているふりをすることが、彼らには好都合であったのかもしれない。過ぎ越しの祝いのころの都市の政治的雰囲気は、相当厳しいものであったであろう。そしてイエスは都市を炎上させる火種になったかもしれない。

 イーグルトンの結論は、イエスに愛を感じて、政府転覆を企てれば、イエスと同じように処刑されることもあるである。新約聖書の中にあるように、愛を個人間の感情と解釈すれば、そのような危険性はなくなるが、政府転覆を企てれば、イエスと同じ運命に会うことになる。愛は個人間のものだけではなく、政治的な意味を持つ場合もあると、イーグルトンは語る。

But as long as we see love mostly as an erotic and Romantic affair, rather than a matter of, say, toppling dictators, this needn’t disturb us unduly. One of the biggest mistakes of the modern era is to see love only as interpersonal.

(訳) しかし私たちが愛を、例えば独裁者を転覆させるのではなく、性的でロマンティックな出来事と看做すかぎり、愛ははなはだしく私たちを当惑させることはない。現代の最大の失敗の一つは、愛をただ個人間のものと考えることである。

 このブログの筆者は、キリスト教徒ではないので、あまり聖書を読み込んでいないが、新約聖書の筆者が当時の政治的状況を考慮に入れたことは、かなり説得力のある説だと考えている。

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