ハムレットと死 (Hamlet and Death)

 シェイクスピアが作り出した人物の中で、ハムレットほど有名な登場人物はいない。現在でも、世界各地で『ハムレット』は上演されており、英語圏の若者は、一度はこの作品と向き合ったことであろう。英国の詩人で批評家のコールリッジは、ハムレットを「悩める知識人」として解釈したが、近年では「行動の人ハムレット」というイメージでも捉えられている。このように多くの解釈を許すシェイクスピアの人物造詣は、天才的と言わざるを得ない。

 このブログの筆者が、作品『ハムレット』を本格的に研究したのは、20 代前半である。その頃は、人間の死の問題に心を奪われていたので、当然、作品の中でも死の問題を探そうとする。そしてハムレットは死について語ることが多いので、当然、筆者の研究対象は、作品内に現れる「死」となった。

 『ハムレット』において、死は重要なモチーフの一つとなっていることは間違いない。シェイクスピア研究家の G. Wilson Knight は、『ハムレット』の主題は死であると断定しており、幅広い対象の批評家である Kenneth Muir も "But Hamlet is the only one of Shakespeare's tragedies in which he considers what happens after death, both to the soul and the body." (しかし『ハムレット』は、魂と肉体に対して、死後どのようなことが起こるか、シェイクスピアが考えた唯一の悲劇である) と書いており、『ハムレット』における死の問題の存在を明白にしている。

 これら批評家達の説を引用するまでもなく、私たちは第 1 幕 1 場から、死という暗い雰囲気の中に突入していく。そこで主人公ハムレットは、父の亡霊を目撃する。亡霊こそは死の象徴であり、人間の生の必然的結果をも示しているのである。ここで感受性の強いハムレットが、死後の恐怖に捉えられたとしても、不思議ではない。

I could a tale unfold whose lightest word
Would harrow up thy soul, freeze thy young blood,
Make thy two eyes like stars start from their spheres,
Thy knotted and combined locks to part,
And each particular hair to stand an end,
Like quills upon the fretful porpentine.
But this eternal blazon must not be
To ears of flesh and blood. (I.v.15-22)

(訳) (死後の世界を) ほんのひと言でも明かせば
お前の魂は戦慄し、若い血は凍りつき
両の目は流星のように空に飛び、
束ねた髪も解きほぐれ、
たけり狂うヤマアラシの針さながら
ひとすじ残らず逆立つだろう。(松岡和子訳)

 このような亡霊の言葉を聞くと、ハムレットならずとも、死後の恐怖を思い知らされる。これまでほとんどの批評家達は、亡霊が "honest" であるか "evil" であるかについて論じてきた。しかしより重要なことは、亡霊がハムレットに与えた影響である。テキサス大学名誉教授の Frederick Turner は、この点に関して、次のように述べている。

To Hamlet this is an evil miracle.  Not that the Ghost himself is evil; he is, if anything, a sad and noble figure, 'majestical.'  It is his story and his command that are unbearable to Hamlet.

(訳) ハムレットにとって、これは悪の奇跡である。亡霊自体が悪というのではない。どちらかと言えば、亡霊は悲しげで高貴な人物である。ハムレットにとって耐えがたいのは、亡霊の話と復讐の命令である。

 疑いもなく、ハムレットは復讐の命令以外に、死後の恐怖を亡霊から与えられたに違いない。彼は自分の恐怖をはっきりと、次にように表明している。

And we fools of nature
So horribly to shake our disposition
With thoughts beyond the reaches of our souls? (I.iv.54-6)

(訳) 人知の及ばぬ疑惑を投げかけ、
自然にもてあそばれるわれわれを
恐れおののかすのだ? (松尾和子訳)

 亡霊との会見以来、ハムレットのこれまでの生あるいは死に対する信念は崩壊し、彼の思想は混沌とした状態に投げ出されるのである。 第 1 幕 5 場において、彼がホレイショーに語る有名な言葉 "There are more things in heaven and earth, Horatio, / Than are dreamt of in your philosophy." (I.v.166-7) (なあ、ホレイショー、天と地のあいだには / 哲学などでは計り知れないことが山ほどあるんだー松尾和子訳) は、自分自身に言い聞かせているのである。この信念の崩壊以来、人類永遠の問題である死とハムレットは取り組まなければならなくなり、彼の闘いの内容は、あの有名な独白 "To be or not to be, that is the question…."(III.i.56)の中に、最も顕著に示されているのである。

 父の亡霊との遭遇は、息子であるハムレットに死の深刻さを植え付け、どうしても死の想念に浸らざるを得ない。しかも亡霊から復讐を要請されているのである。王位継承者としては、これ以上の苦境はあり得ない。私たち観客は、ハムレットがこれからこの問題に対して、どのように対処するかを、固唾を飲んで見守ることになる。

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