村上春樹の死生観 (Murakami Haruki's View of Life and Death)

 以前に購入していた村上春樹の『猫を棄てるー父親について語るとき』(文春文庫、2022年) を何気なく読んでいたら、最後のページに、村上春樹の死生観が語られている箇所にぶつかった。それは「ぶつかった」という表現でしか表せないほど、私の心を打った。

 この文庫本は、村上春樹にしては珍しいことであるが、近親者、特に父親について語ったものである。その 115 ページに、次のような記述がある。

 言い換えれば我々は、広大な土地に向けて降る膨大な数の雨粒の、名もなき一滴に過ぎない。固有ではあるけれど、交換可能な一滴だ。しかしその一滴の雨水には、一滴の雨水なりの思い出がある。一滴の雨水の歴史があり、それを受け継いでいくという一滴の雨水の責務がある。我々はそれを忘れてはならないだろう。たとえそれがどこかにあっさりと吸い込まれ、個体としての輪郭を失い、集合的な何かに置き換えられて消えていくのだとしても。いや、むしろこう言うべきなのだろう。それが集合的な何かに置き換えられていくからこそ、と。

(拙訳) In other words, we are just nameless drops of the vast number of raindrops that fall on the vast land. It's peculiar, but it's an exchangeable drop. However, every drop of rainwater has its own memories. It has a history of a drop of rainwater, and we have a responsibility to pass it on to our descendants. We must not forget that. Even if it is easily absorbed in somewhere, loses its contours as an individual, is replaced by something collective, and disappears. Or rather, I should say something like this. It is precisely because the raindrop is being replaced by something collective.

 村上春樹の文章は、五木寛之が唱える「大河の一滴」という思想を思い起こさせるが、両作家とも、人の死後はなにか「集合的なもの」に包摂されると語っていることが面白い。死後の人間は、生前の個性を失い、大きな流れの中に埋没するのであろうか。そのような思想を持つことによって、私たちは何か安心感を覚える。

 次に五木寛之『大河の一滴』(幻冬舎文庫、1999年) にある文章を挙げておこう。

存在するのは大河であり、私たちはそこをくだっていく一滴の水のようなものだ。時に飛び跳ね、時に歌い、時に黙々と海に動いていくのである。親鸞の『自然法爾』も夏目漱石の『則天去私』も、たぶんそのような感覚であろう。私たちの生は、大河の一滴に過ぎない。しかし無数の他の一滴たちとともに大きな流れをなして、確実に海へとくだっていく。

(拙訳) It is a great river that exists, and we are like a drop of water that flows through it. Sometimes a drop of water jumps, sometimes it sings, sometimes it silently moves into the sea. Shinran's "Shizen Houni" and Natsume Soseki's "Sokuten Kyoshi" probably have such a feeling. Our lives are only a drop in the river. However, along with countless other drops, it forms a great stream and steadily flows down into the sea.

 上記の文章中にある「自然法爾」も「則天去私」も、小さな自我を棄てて、大きな運命に身も心も任せるという意味である。

 しかし、個性の強い人、現生に執着の強い人には、なかなか納得してもらえない考え方であろう。そのような人たちは、永遠の生とは、個人の意識を持ってこその永遠と、強く思うからである。

 死の恐怖を取り去るには、執着を無くし、個性を消していくことが肝要であろう。個性とはひょっとすると幻影なのかもしれないのだから。

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