シェイクスピアの知的背景 (Shakespeare's Background of Knowledge)

過去の文化や社会構造の影響

 シェイクスピアの時代は、中世時代に確立された思想や社会構造に、人々の思想や行動が影響されていました。エリザベス一世は、神の代理人 (God’s deputy) であり、貴族や平民は、女王の下でそれぞれの地位を持ち、女王を通じて神への責任を持っていると考えられていました。しかし、それまでの社会秩序は疑問視されていました。無神論は、多くのエリザベス朝の人々にとって脅威でしたが、キリスト教の信仰自体も、単一のものではありませんでした。ローマ法王の権威は、マルティン・ルター (Martin Luther, 1483-1546) や ジョン・カルヴァン (John Calvin, 1509-64) 、さらにはヘンリー八世 (Henry VIII, 1491-1547) が設立したイギリス国教会からも、厳しい挑戦を受けていました。

 王の権力は議会で制限されていましたし、経済的・社会的秩序は、資本主義の勃興、修道院の土地の再配分、教育のひろがり、新しい国の発見 (アメリカ新大陸) による富の流入のため揺らいでいました。

 新旧の思想が、互いに影響を与え合っていたことが、この時代の特徴でした。教会での説教では、神への従順を説いていましたが、イタリアの政治理論家マキャベリ (Niccolò Machiavelli, 1469-1527) は『君主論』 (1513年) を書き、人間性悪論に基づき、陰謀政治の有効性を説いていました。この頃から、人間はなにをすべきか (規範) から、人間は何をするか (現実的思考) という問題に移っていきました。

 シェイクスピアの最高傑作と言われている『ハムレット』 (Hamlet, 1600-01) という作品の中で、シェイクスピアは、人間や信仰について多くの疑問を呈示していますが、この作品は、増大する不安や懐疑的な当時の考え方を反映しています。1603 年にフランスの思想家モンテーニュ (Michel Eyquem de Montaigne, 1533-92) の『エッセイ』が英語に翻訳されましが、この出版は、ハムレットが問いかけた思想に刺激を与える役割を果たしています。シェイクスピアは、晩年の作品である『テンペスト』の中で、モンテーニュの『エッセイ』からかなり引用をしています。哲学の分野では、アリストテレス (Aristotle, 384-322 B.C.) の why (規範) から、how (現実的思考) へと移っていきました。

 『終わりよければすべてよし』 (All's Well That Ends Well, 1602-03) や『尺には尺を』 (Measure for Measure, 1604) のような、1603 年から 1606 年に書かれたシェイクスピアの演劇は、明らかにこのようなジェイムズ朝の社会制度への不信を反映しています。ジェイムズ一世は、エリザベス一世と同じように、王権神授説 (the divine right of kings) を唱えていましたが、王権を維持する能力は、エリザベスよりはるかに劣っていました。カトリック教徒が議事堂の爆破とジェイムス一世と議員たちの殺害を企てた1605 年に起こった「火薬陰謀事件」 (The Gunpowder Plot) は、王権の不安定さを暴露しています。

ローマ演劇や先輩作家の影響

 ローマの喜劇作家であるプラウトゥス (Titus Maccius Plautis, 254? -184 B.C.) と テレンティウス (Publius Terentius Afer, 190? -159B.C.) のラテン語喜劇は、エリザベス朝の学校や大学でよく読まれており、その翻訳や翻案が、学生によって時々上演されていました。ローマの悲劇作家であるセネカ (4 B.C.-A.D.65) の修辞的・感傷的な悲劇もよく翻訳されており、セネカに真似た劇もよく作られていました。しかし、聖徒・殉教者の事跡や奇跡を盛り込んだ「奇跡劇」 (A Miracle Play) という中世の宗教劇も、エリザベス朝の演劇に大きな影響を与えていました。

 また英国では 15 世紀から 16 世紀にかけて、「道徳劇」 (A Morality Play) が流行し、美徳・悪徳が擬人化されて登場していましたが、この劇もシェイクスピアに影響を与えています。シェイクスピアの直接の先輩は「大学才人」 (University Wits) と呼ばれる人たちですが、彼らの作った劇は、大学で学んだ古典劇の模倣ではなく、もっと民衆に人気のあった物語形式を用いていました。例えば、彼らの脇筋は、本筋とテーマを豊富にしており、古典劇より中世演劇を、大学才人たちは模倣していたようです。

 大学才人には ジョン・リリー (John Lyly, 1554? -1606) 、クリストファー・マーロー (Christopher Marlowe, 1564-93) 、トマス・ロッジ (Thomas Lodge, 1558-1625) 、ロバート・グリーン (Robert Green, 1558-92) 、トマス・ナッシュ (Thomas Nash, 1567-1601) 、ジョージ・ピール (John Peele, 1558-97) がいます。特にクリストファー・マーローの影響は大きかったようです。

シェイクスピア時代の英語

 シェイクスピア時代の英語は絶えず変化しており、その変化も拡大していました。『妖精女王』 (The Faerie Queene) を書いた詩人のエドマンド・スペンサー (Edmund Spencer, 1552-99) は、古い言葉を復興させました。学校教師、詩人、宮廷人、旅行者は、フランス、イタリア、ラテン語古典から、英語の言葉を豊富にしました。また、安くなった印刷本のお陰で、英語は文法や語彙が標準化されてきました。スペルもだんだんと標準化されました。ヨーロッパ全ての国で、永久的な名声を得たいと思い、エッセイストであり哲学者であるフランシス・ベーコン (Francis Bacon, 1561-1626) は、ラテン語で本を書きましたが、もし彼が 2、30 年後に生まれていたら、英語にもっと自信を持っていたでありましょう。

(Encyclopaedia Britannica Online を参考にしました)

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