サッチャーの小説 (Thacher's Novel)

 New English Review (December 2022) に「サッチャーの小説」 (Thacher's Novel) という記事が掲載されていたので、てっきり元イギリス首相マーガレット・サッチャー (Margaret Thacher) が小説を書いていたのかと思った。掲載記事をよく読んでみると、"novel" というのは「愛読書」のことであった。

 私がサッチャーという名前に、敏感に反応する理由は、第 1 回目のイギリス留学 (1978年-1979年) の時に、サッチャーが労働党から政権を奪い保守政権を樹立した年であるからだ。サッチャーは、1979 年 5 月の総選挙で、経済の規制緩和や国営企業の民営化を掲げ、保守党を大勝に導いた。今でも留学当時の思い出が、頭の中に鮮明に残っているが、総選挙前には、労働組合の活動が活発で、ごみ取集企業がごみを回収せず、近くの公園に山積みされていた。この有様を見て、労働組合に甘い労働党への不信感がイギリス国民の間に強まり、労働党政権はあっけなく崩れた。留学当時、英会話の指導を受けていた先生が、興奮して保守政権に成立を語っていたことを思い出す。

 サッチャーの愛読書は、 Frederick Forsyth の The Fourth Protocol (1987年出版)であった。サッチャーはその本が愛読書である理由を、1985 年に実施されたインタービューで次のように答えている。

She was fascinated with its rivetingly authentic detail and its interface between high politics and intelligence activity. The novel bears upon her own career.

(訳) 彼女はその小説の心を奪うような信頼できる詳細部分と高度な政治と諜報活動の接点に魅了されていた。その小説は彼女自身の経歴と関係がある。

 Frederick Forsyth の政治分析は、異常に鋭く、The Fourth Protocol には、彼の政治分析の鋭さが反映されており、この点にサッチャーは魅力を感じていたようだ。

The novel is in fact rooted in Forsyth’s exceptional gasp of fact and process.

(訳) この小説は、実際、フォーサイスの現実や推移の優れた理解力に根差している。

 さて、この記事の筆者 Ralph Berry は、Frederick Forsyth の現実把握能力を示す例として、The Dogs of War (1974年出版) を挙げている。そこでは架空のアフリカにある政権を打倒するために傭兵を雇う物語であるが、この案をフランス政府が取り上げて、実存したアフリカにある政権を潰したことがある。面白いことに、その戦闘に参加したすべての兵士は、フランス語版の  The Dogs of War を渡されていたようである。

 筆者 Ralph Berry は、フランスの兵士が、この本を読んで作戦を実施する姿を思い描いている。

I like to think of these warriors poring over the well-thumbed pages of Les Chiens de Guerre, to see what Forsyth told them they should do next. Needless to say, the operations went off without a hitch.

(訳) フォーサイスが、フランスの兵士に次は何をすべきかについて、どのように語っているかを知るために、『戦争の犬』という手垢で汚れたページをのぞき込んでいる兵士たちの姿を思い描くことが、私は好きだ。

 マーガレット・サッチャーが、Frederick Forsyth を愛読していた理由が明らかになった。彼女は彼の作品の中に現実把握の大切さを見ていたのだ。1985 年のインタービューであるが、この時、彼女はまだイギリス首相の座についていた。 因みに、彼女がイギリス首相に在位していたのは、1979 年 5 月 4 日から 1990 年 11 月 28 日までである。11 年の長期にわたってイギリスを支えた彼女の政治能力は高く評価されている。

 記憶に残っておられる方も多いと思うが、マーガレット・サッチャーの生涯を描いた映画が、メリル・ストリープの主役で製作された。そこには、年老いたマーガレットは、認知症を患いながらも、夫の遺品を整理し思い出を振り切ろうとしており、そんな彼女を、娘のキャロルや家政婦が支えつつ、穏やかに余生を送っているが、その姿には深い感動を受けた方も多いと思われる。

 マーガレット・サッチャーは、2013 年 4 月 8 日 に87 歳で没した。この報に接したとき、私はある時代に終わりを感じ、第 1 回目のイギリス留学を懐かしく思い出した。

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