ヴィパッサナー瞑想 (Vipassana Meditation)
ユヴァル・ノア・ハラリ (Yuval Noah Harari) は、現代もっとも注目されている思想家であり、彼の著した『サピエンス全史』(河出書房新社、2016年) や『ホモ・デウス』(河出書房新社、2018年) や『21 Lessons for the 21st Century』(河出書房新社、2019年) は、世界中の人から読まれている。
今回、私が注目したいのは、『21 Lessons for the 21st Century』の 21 章にある「瞑想―ひたすら観察せよ」である。その中で、彼は「ヴィパッサナー瞑想」について語り、この瞑想が、人類の危機を救う可能性があると言っている。
まずユヴァル・ノア・ハラリは、この本の 21 章で誕生から死まで持続する自己に疑いを持つ。
だが、誕生から死まで持続するものなどあるのだろうか?体は刻々と変化し、脳も刻々と変化し、心も刻々と変化し続ける。自分を詳しく観察すればするほど、この一瞬から次の一瞬にさえ持続するものなどないことがはっきりする。それでは、いったい何が全人生を一つにまとめているのか?もしその答えがわからなければ、人生は理解できないし、死など理解できるはずもない。何が人生をひとつにまとめているかを発見したときに初めて、死にまつわる大きな疑問もあきらかになるのだ。(p.400)
さらに彼は魂が誕生から死まで持続するという説は、ただの物語だとする。
「魂が誕生から死まで持続し、それによって人生を一つにまとめている」と人は言うが、それはただの物語にすぎない。あなたは一度でも魂を目にしたことがあるだろうか?これは、死の瞬間だけでなく、どんなときにも調べることができる。一瞬が過ぎ、次の一瞬が始まるときに何が起こるかを理解できれば、すべてが理解できるだろう。たった一回の呼吸の間、自分の本当に観察できれば、すべてが理解できるだろう。(p.401)
確かに、魂も刻々と変化しているのであれば、魂の死を考えることができない。人生を一つにまとめている魂が、表面的には変化しながら、根底では不変であるという信念がなければ、魂の死は存在しない。ただ刻々と変化するものが消えるだけだ。刻々と変化し続けたものが、最後にはその活動をやめることになる。
さてユヴァル・ノア・ハラリにヴィパッサナー瞑想を教えたのは、S. N. Goenka であるが、その人の教えを、忠実に本に著した人がいる。その人は William Hart で、彼が書いた本は『ゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想入門』(春秋社、1999年) である。この中に、呼吸に注意を集中する効果を三つ挙げている。
1. 呼吸を観察することは、正しい気づきの修業にもなる。苦は無知から生ずる。わたしたちは自分がなにをしているのかわからず、自己のほんとうの姿を知らず、めったやたらと反応している。心は時間の大半を空想や幻想に費やしている。(p.102)
2. 呼吸の気づきを強めるもう一つの理由は、究極の現実を体験するためである。呼吸に意識を集中していると、自分について知らなかったことがいろいろ見えてくる。無意識の部分が意識できるようになる。(p.103)
3. 呼吸の気づきの修業をする理由はそれだけではない。わたしたちの目標は自分の心を反意や濁りから解放することだから、その目標に向かう一歩一歩が本当に純粋で正しいものか注意しなければならない。(p.104)
S. N. Goenka は 1924 年に生まれ、2013 年に亡くなり、享年は 89 歳である。
「ヴィパッサナー瞑想」に興味のある方は、http://www.jp.dhamma.org/ にアクセスしてほしい。